
「うちの子が面倒見るから」って言われたけれど―50代おひとりさまが考えた、甥とのちょうどいい距離感と備え
2026.01.11



甥からのメッセージに、つい口元がゆるむ休日
「おばちゃん、東京に住むとしたら、どのエリアがいいと思う?」
日曜の夕方、リビングのソファでくつろいでいると、スマホに甥からのメッセージが届きました。智美さん(55歳)は、思わず口元がゆるみます。
送り主は、地方に住む弟夫婦の長男で大学生の拓也くん。この春から首都圏の大学に進学し、一人暮らしを始めたばかりです。
「大学からあまり離れすぎてなくて、あんまり高くないところかな。今度こっちに来るとき、時間あったらごはん行こうね」
そんなやり取りをしながら、スマホの画面を見つめます。
(この子たちが大きくなるのを見ているのが、今の私の一番の楽しみかもしれないな)
窓の外は少しずつ夕暮れに染まり始めていましたが、そう思う智美さんの心の中は温かい光で満たされているようでした。
「子どもを持つ予定はない」からこそ、特別な存在
智美さんには、自分の子どもはいません。
20代・30代は仕事に夢中で、気づけばキャリアを積み重ねていました。40代に入ってからは、結婚や出産について「縁あってのことだし、無理に世間の普通を追いかけるのは違う」と、自分なりの納得感を持って生きてきました。
その分、弟夫婦の子どもたちの成長は自分にとっても特別な喜びになっていました。
小さい頃から誕生日や入学祝いのたびに、少し背伸びした洋服や、長く使える文房具、自分が読んで面白かった本をプレゼントしてきました。「おばちゃんの選ぶ本はハズレがない」と拓也くんに言われるたびに、少し誇らしい気持ちになります。
親のような重い責任はないけれど、もうひとりの大人としてこの子たちの人生を少し横から支えられたらいい。時には親に言えない相談に乗ったり、少し甘やかしたりできる存在でありたい。
そんな斜めの関係が、智美さんにとって一番心地よい距離感でした。
「老後はうちの子が見るから」という弟の軽口
しかし、その心地よい距離感に小さな波紋が広がったのは、ある年の正月久しぶりに実家へ帰省したときのことでした。
こたつを囲み、みかんを食べながら何気ない会話の流れで老後の話になりました。両親も高齢になり、今後のことを少しずつ考えなければならない時期です。
「お姉ちゃんはひとりだし、歳とったらどうするん?」
ビールを飲んで顔を赤くした弟が、少し冗談めかして聞いてきました。悪気がないのは分かっていますが、心臓が少しドクンと跳ねました。
「さあねえ。とりあえず働けるうちは働いて、そのうちどこか小さい部屋に移るとか?」
と、努めて軽く返しました。すると、弟は笑いながらこう言ったのです。
「まあ、いざとなったらうちの子たちがどうにかするでしょ。東京のおばちゃんにはお世話になってるんだから、大事にしなさいっていつも言ってるし」
横にいた母もそれに乗って、「そうよ、あんたには甥っ子たちがいるんだから、そんなに心配しなくていいのよ」と屈託なく言いました。
その場では「あはは、頼りにしてるわ」と笑って流しました。
しかし、東京に戻る新幹線の中で窓に映る自分の顔を見ながら、その言葉は頭から離れませんでした。
「どうにかするでしょ」と言われるのは、家族として愛されている証拠で素直にうれしい。だけど、本当にそれでいいのだろうか。
ふと冷静になって、「老後」を考える
自宅に戻った夜、智美さんは自分のこれまでとこれからを考えました。
弟の言葉に甘えて思考停止する前に、現実を直視してみようと思ったのです。
● いまの仕事と収入、現在の貯蓄額。
● 持ち家ではなく、賃貸マンションで暮らしていること。
● 両親がいなくなったあと、実家をどうするかまだ決まっていないこと。
● 健康診断では今のところ大きな問題はないが、血圧やコレステロールなど持病予備軍の数値が少しあること。
そして、ページの一番下にこんな一文を付け足しました。
「私の老後を、甥にどうにかしてもらう前提で考えていいのか?」
書いてみて、すぐに強烈な違和感を覚えました。文字にすると、それがどれほど身勝手な期待であるかが浮き彫りになります。
甥は大切な存在ですが、彼らには彼らの人生があります。就職して忙しく働くかもしれないし、結婚して家庭を持つかもしれない。転勤で遠くに行くかもしれないし、海外で暮らすかもしれない。
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